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help リーダーに追加 RSS 『素粒子』

<<   作成日時 : 2007/04/13 23:40   >>

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1998年フランスで刊行された小説の映画化。
久々に、悩ましい作品と出会いました。
人の数だけ思想があり、表現がある、、、どう理解するべきか。
今日の映画は『素粒子』です。

映画は、映画監督という人間が、
ある種の制約はあるにせよ、
その頭の中にある思考やイメージを映像にしたものなので、
映画を理解するには、
その人間を理解する必要があります。
それは一種のコミュニケーションで、
映画監督と対等の立場にある観客は、各々の経験や感性によって解釈を試み、
より正確にその意思を汲み取ることが出来た時、
その映画は完全なものとなります。

「あんたには人の気持ちが分からない」
私の事を誰よりも知り、
忌憚ない言葉で叱咤激励する唯一の存在である母は、
たびたび私にそう言います。
声なき声に耳を傾けることも、
察しいたわり、人に優しさを与えることも、私は苦手です。

それでも、映画を通して多くのことを知りたいと思うのは、
スクリーンの奥にある映画監督の思いに触れたいからです。
それは、人間に対する好奇心で、
何かを感じ、何かに気づき、一縷の救いあるいは絶望を知る。
私にとって映画とは、もう一つの人生と言えるかもしれません。

強烈な個性を持つ原作があり、
原作を踏襲し映画として再構築された本作。
私は原作を読んでいないので、
その世界観を比較することは出来ないし、
全く別ものと考えるべきかもしれませんが、
残念ながら、
映画となった時、その世界観は縮小され、
そのために、元々あった個性が失われたことは明白です。

「…性欲と支配欲は素粒子レベルで関係し、支配欲の追求が戦争を生む…」
映画はこの言葉で締めくくられます。
つまり、セクシャリティは、人間に失望と堕落、
そして不毛な争いの精神を生むのだと、
原作の著者であるミシェル・ウエルベックは語っています。
映画のラストにあって、この言葉は衝撃的です。

とめどないセックスへの欲求に支配されたブルーノ。
満たされない思いを抱え、求めては拒まれ、絶望を繰り返す。
一方、異父兄弟のミヒャエルは、
最先端の遺伝子研究に没頭し、
セックスの経験がなく、生殖技術の発展は人類の未来であると信じている。
対極の人生を送る2人の行く末に待ち受けているのは、
精神の破壊の中に見い出した安らぎであり、
かけがえのない人との出会いだった。

セクシャリティと愛あるいは幸福の関係。
悪しきセクシャリティの象徴であるブルーノの苦悩が、
愛されないばかりか、愛することが出来ないジレンマであるとするなら、
ブルーノにとっての幸福への道は、
見返りのない愛に身を投じることに他なりません。
セックスをすることで、何かが失われるのなら、
同時に、その先にあるはずの愛に行きつく道も閉ざされる。
愛されない悲しみは誰の心の中にもあるもので、
セックスによって、束の間、愛し愛される実感を得る。
その実感を知ったからこそ、
その温かい場所が忘れられず、自分を受け入れてくれる人を探す。
痛みは元凶ではなく、試練であると理解するのが自然です。
ブルーノの苦悩は、
いかにもヒューマニズムにあふれ、
その身に襲いかかる不運ですら、愛すべき人間の姿に思えました。

愛の存在も、セックスがもたらす痛みも安らぎも知らないミヒャエルとって、
人と関わりは大きな意味を持たない。
人と関わらなければ、
余計な摩擦もなく、平穏無事に暮らせる。
確かにそうかもしれません。
しかし、ミヒャエルは最後に、かけがえのない人を見つけます。
無邪気な愛を知り、
セックスをともなう愛のシステムに絡め取られていくのです。

この矛盾をどう理解すればいいのでしょうか。
セックスが愛の結晶だなんて思いません。
肉体的な快楽を求めてセックスをし、
人はとめどない欲求に身を投じる。
心が欲しい、愛が欲しい、相手の人生そのものが欲しい、
その欲求は恐ろしく増大するかもしれない。
それなら、いっそのこと、
愛もセックスもその概念ごと消去すればいい。
そんな思想は、確かにエッジがきいていて興味をそそられます。
ただ。。。

マイケル・ウィンターボトム監督の『コード46』は、
私の大好きな映画の一つで、近未来を描いた映画です。
クローン遺伝子により生れた人間が増え、
同一のDNA遺伝子を持つ人間とのセックスが法により禁じられた世界で、
禁じられた2人が、欲望にかられてセックスをします。
愛のようなものがそこにあり、
朧げな愛の存在は、一筋の涙とともに記憶から消され、
また世界は流れていきます。
消された記憶は、あったか無かったかも定かではなく、
だからこそ、なお切ないのです。

本作で、ブルーノが破綻した精神のなかで亡き恋人を想う眼差しもまた切なく、
この愛のようなものが、
この映画でも、やはり救いとなっていました。
一方で、愛という不安定な存在によって、
この映画ので伝えるべきテーマの軸が揺るがされ、
表現としての潔さを欠いてしまったように思います。

そうは言っても、
この映画、所々に、唸るほど巧いシーンがあります。
日常に潜む心の闇。
飼っていた鳥が突然死ぬシーンや、
生徒の写真を見て自慰に耽るシーン。
人間的に偏った人格を的確に表していました。
巧みな演出がほどこされた細部は必見です。

悩ましい映画ではあるので、
観終わったあと、多少の混乱をきたすかもしれません。
セクシャリティと生の根源。
今、目の前にあるセックスの意味を考え直すことになるかもしれません。
(★★★☆☆)

『素粒子』
2006年ドイツ映画
監督 オスカー・レーラー
出演 モーリッツ・ブライプトロイ/フランカ・ポテンテ/マルティナ・ゲデック/
   クリスティアン・ウルメン、ニーナ・ホス

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